2008年9月28日 塩山宗満
ヨハネの福音書 15章12-17節
「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。」互いに愛しあいなさい、とは具体的に何をすることなのでしょうか。ここでカギになる言葉は、「わたしがあなたがたを愛したように」ということでしょう。イエス様が弟子たちを愛し、我慢をし、教え、そしてこのすぐ前には足を洗ってやりました。弟子たちの主流はガリラヤの漁師だったのですが、徴税人もいたし、熱心党などという、過激派もいました。そんなさまざまな出の人たちの集まりが、お互いに愛しあうと言うのは神様にしっかりつながっていなければ出来ません。弟子たちはイエス様がしてくださったことを今度は自分たちがするように求められているのです。
そして、それは私たちにも求められています。そんなことはできません。私たちは依然として罪人であり、弱いものですから、という声が聞こえてきます。私たちもさまざまなところからこの教会に集められています。出身も、職業も、キリスト教とのかかわりも全く違ったところから、不思議な神様の導きによって、ここに集っています。そんな私たちが「互いに愛しあいなさい」と言われていることを実行するには、まず、神様にしっかりつながって、神様の御心を知るしかないのです。そして、それを具体的に実現するのに、み言葉の三つのチャンネルすなわち、礼拝でみ言葉を聞き、自分で静まってみ言葉を読み、祈り、そして教会学校の場で仲間とみ言葉を読みあう、それを活用していく中で、「互いに愛しあいなさい」というみ言葉が完成されていくのではないでしょうか。