2016年5月29日 塩山宗満
マルコによる福音書 4章1-9節 (新約 66ページ)
新共同訳の小見出しは「種を蒔く人」のたとえとなっています。わたしたちはこのたとえ話がみ言葉を聞いた自分についての話だと思って読んでいます。でもここは種を蒔く人について語られているのです。土がどうなっていても、鳥が来て種を食べてしまっても、それでいい、いばらの茂みの中にだって見境なくあらゆるところに、種を気持ちよくばらまいている人についての話だと見方を変えて読んでみましょう。このたとえ話は自分がどこにまかれたのかと心配する話ではなく、よい土地、悪い土地などに関係なく、どこにでも種を蒔く、主なる神のことを語っている話なのです。
私たちは毎年クリスマスのときにチラシを3千枚近く、私たちの手で配っています。このチラシがどうぞ受け取った人の心に何かを残して、すぐに教会に来るのではなくても、何かあったときに、心が動かされたときにみ言葉を聞きに教会に行ってみたいと思うそのような働きをしてください、と祈り、願いながらポストに入れていきます。でも、捨てられてしまうものが多いのではないでしょうか。自分の人生に聖書の言葉など関係ないと思っている人が大多数ですから。でも、さまざまな苦しみや痛みに襲われたときに気がついて聖書を読んだり、教会に来てくだされば良いと願っています。私たちの周りの人たちに、特に皆さんが祈りに覚えている人たちにみ言葉がタイミングよく届くよう祈りましょう。
主なる神が蒔き続けておられるこのみ言葉の種を、わたしたちもこの長生郡市山武地区のまだ神を知らない人たちに、ご一緒にまき続けていこうではありませんか。